イトーヨーカドー大量閉店【GMS戦争ウラ話】コロコロとおもちゃとイトーヨーカドー

コロコロとおもちゃとヨーカドー なんでもレビュー
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こんにちは!元おもちゃメーカーのマーケター・中年Kです。

最近、各地のイトーヨーカドーが閉店するというニュースをよく耳にします。

イトーヨーカドーといえば、GMSの優良企業として2000年代までは勢いのあった企業だったので、当時を知るものとしてはなんとも寂しい限りです・・・。

個人的にもおもちゃメーカー勤務時代には、いろいろな思い出があった企業でもあります。

今回は、元メーカーのマーケターの視点から、1990〜2000年代のおもちゃ業界におけるGMS戦争の最前線についてウラ話を交えつつ解説してみたいと思います。。

おじさんの思い出話が多いかもしれませんが、お付き合いいただけると幸いです。

忠犬P
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栄枯盛衰なのだ。

中年K
中年K

ビジネス読み物のような話です。

1.デパートの衰退

今から30年以上前の1980年代までは、おもちゃの主力チャネルとして百貨店・デパートが大きなシェアを占めていました。

しかし、1990年代に入る流通の勢力図が大きく変化していきます。

1番身近な夢の国

おそらく、40代以上の世代の人であれば、子供の頃にデパートに行っておもちゃをおねだりした思い出があると思います。

実際、各地の主要デパートのおもちゃ売場は商品の品揃えも豊富で、多くの子どもたちが店頭にあるプラレールのジオラマやシルバニアファミリーのディスプレイに魅入っているシーンが見られました。

遊園地さながらの楽しい夢の国といえたのが当時のデパートのおもちゃ売場でした。

東京でいえば、銀座・松屋、新宿・伊勢丹、池袋・西武&東武・・・などを重点店舗として各メーカーも力を入れて対応していました。

土日にはイベントを開催したり、店員として社員を派遣するなど各メーカーが鎬を削っているような状態でした。

忠犬P
忠犬P

ザ・昭和の風景なのだ。

玩具流通の再編

1990年代に入ると靴流通チェーンであるチヨダとマルトミの両社がそれぞれ「ハローマック」「バンバン」というおもちゃ業態を全国展開していきます。

いわゆる郊外型ロードサイド店を展開し、急速にシェアを伸ばしていきました。最盛期には両チェーンとも全国に400店舗超を展開する一大勢力となりました。

そして、1991年にアメリカの黒船「トイザらス」が日本1号店となる茨城県の「荒川沖店」をオープンし、全国へ拡大展開をするにつれ、おもちゃ流通の勢力図は劇的に変わっていきました。

さらに、「ダイエー」「マイカル」をはじめとする総合スーパー(GMS)が大型店舗の出店を加速させるなど流通の再編が進む中で、デパートの衰退がより明確になっていきました。

時代の流れに応じて、メーカーの営業体制も従来のデパート問屋を中心としたものから、GMSやロードサイド店、トイザらスなどの本部との商談へと軸足を移すように組織再編が進みました。

中年K
中年K

まさに激動の時代でした。

2.GMS戦争の内情

続いては、おもちゃ業界の中の人としてGMSと対峙していた経験を基に、1990年代後半のGMS各社の特徴について事例を交えながら解説します。

もう時効なので「本音」も書きますが、あくまで個人の感想として捉えてもらえると幸いです。

ダイエー

当時、GMSの最大手はダイエーでした。ダイエーは、大量陳列・大量販売をコンセプトに安売りを展開。

安売りを標榜するということは、メーカーに対する「要望」も大きいということを意味しています。

要望の中身としては、値引き(掛率ダウン)をはじめ協賛金、販促物、限定品など多岐に渡りました。

このため、マーケターとしてバイヤーにプレゼンをしてもマーケティングや商品の中身ではなく「価格が高い」だの「限定品はないのか?」だのしょうもない質問ばかりで前向きな話にならないので閉口していました。

ダイエーの企業としてのスタンスが垣間見れるエピソードとしては、売場改装の応援対応がありました。

拠点店舗の売場リニュアルの際には各メーカーから社員が集められ、閉店後の夜遅い時間に棚替え作業を強いるといったようなことが常態化していました。

改装応援は、デパートなど他社でも行われていましたが、ダイエーが1番厳しかったように記憶しています。

特に、おもちゃメーカーの地方営業所の営業マンは休日返上でこのような理不尽な対応に追われ、代休を消化できないようなブラック状態が散見されていました。

現在でも家電量販店でのメーカー社員の売場応援などの問題が残っていますが、上記の改装応援はその悪しき見本でもあります。

結局、その後のダイエーの衰退を見るにつけ、「驕り」や「慢心」が企業体質として染み付いていたのではではないか?と感じてしまいます。

今のダイエーはイオングループの一員として新体制となっているので企業体質も大きく変わっていると思われます。

忠犬P
忠犬P

因果応報なのだ。

イオン

1990年代当時は、GMS業態は「ジャスコ」の称号で展開していました。

この頃はまだ市場シェアも大きくはなく、ダイエーやヨーカドーに比べると発言力・影響力は大きいとはいえない状況で、当時のジャスコは、ユニー(アピタ)やマイカル(サティ)などと共にGMSの二番手グループのいち企業といったポジショニングでした。

そうした背景もあり、バイヤーの姿勢もニュートラルというか無理難題を投げかけられることもなく、商談しやすかった印象があります。

今思うと店頭の装飾やイベントの取り組みも積極的だったように思いますし、身の丈にあった展開をしていました。

その後は、ライバルであった「マイカル」などを展開していたニチイを2001年に傘下に収めるなど勢力の拡大を続け、ダイエーと入れ替わるように業界の覇権を握って行ったのはご存知の通りです。

中年K
中年K

当時は目立った存在ではありませんでした。

イトーヨーカドー

そして今回の主役・イトーヨーカドーについてです。

個人的にはイトーヨーカドーのバイヤーとの商談が1番充実していたという思い出があります。

通常は、マーケターが本部バイヤーとプレゼン・商談をする機会は四半期に1回です。担当している商品ラインの売上や期待度、営業マンとの関係性などにもよりますが、1回あたり30分ももらえればいい方です。

それが、イトーヨーカドーのバイヤーとは月イチでミーティングの機会をいただいていました。

ミーティングの内容も商品展開やプロモーションについてだけでなく、新製品の予想販売数や全体の売上動向についても具体的な数字を持って議論していました。

先方からは店頭販売データの提供をアンオフィシャルで提供してもらっていたので、商品動向の分析と把握の精度が格段に上がったことを覚えています。

たまたま私の担当商品とバイヤーがフィットしただけかもしれませんが、イトーヨーカドーは戦略的で緻密なMDを展開しているな、と感じました。

さらに、イトーヨーカドーのバイヤーはメーカーからの接待は禁止されているというような都市伝説のような話もあったことなどから、前述のダイエーを反面教師にしたようなホワイト企業という印象を持っていました。

忠犬P
忠犬P

日本企業っぽくなかったのだ。

3.コロコロとヨーカドー

いきなりコロコロコミックが出てくるのは「なんで?」と思われるかもしれませんが、30代前後の男性であればピンとくるかと思います。

小学生男児のバイブル

写真:ITMediaから引用

まずは、コロコロコミックについて簡単におさらいします。

「月刊コロコロコミック」は、ドラえもんの連載で知られる1977年創刊のコミック誌です。

1990年代くらいから、おもちゃ(コロコロではホビーと呼称)とマンガ・アニメのメディアミックスを展開するようになり、全盛期には200万部の発行部数を誇っていました。

「ミニ四駆」「ポケモン」「ハイパーヨーヨー」「ベイブレード」「ビーダマン」「デュエルマスターズ」「妖怪ウォッチ」・・・多くのヒット商品がコロコロから生まれています。20代から40代くらいの男性であれば、どれかは思い当たると思います。

私は、玩具メーカーのマーケターとして上記の中の某商品を担当していたので、コロコロコミックの訴求力のすごさを肌で感じていました。

【参考】コロコロのホビー商品の歴史

中年K
中年K

コロコロのパワーはすごかった!

コロコロホビーショップ

そんなコロコロコミックに目をつけたのがイトーヨーカドーです。

当時のチーフバイヤー氏が陣頭指揮を取り、1997年くらいからおもちゃ売場にコロコロ関連商品を集めた「コロコロホビーショップ」と銘打ったコーナー展開を始めました。

すでにコロコロコミックの勢いは誰もが知るところではありましたが、ほとんどが1000円以下の低単価でアイテム数も多かったため売場の管理が面倒なこともあり、おもちゃ業界的にはそれほど注目度が高くないカテゴリーでもありました。

当時はまだ合体ロボやセットモノといった5,000円以上の高単価アイテムゲーム機・ゲームソフトが重宝がられていた時代でした。

また、MDで低単価アイテムを強化することで、売上の平準化がはかれることも店舗運営としてのメリットがあります。

従来のおもちゃ売場は、高単価アイテムは夏休みやクリスマス以外の時期の売上は少なく、短期的な商戦に売上を頼らざるを得ないのが実情でした。

結果的には、コロコロとのコラボはチーフバイヤー氏の先見の明もあり大成功を納めました。

忠犬P
忠犬P

MDの勝利なのだ。

MD特化戦略の成功

コロコロホビーショップの成功の背景には、デパートと同じく衰退した専門店の受け皿として、GMSが機能し始めていたことがあります。

いわゆる街のおもちゃ屋さんに行く感覚でイトーヨーカドーのおもちゃ売場に行く、という小学生の消費行動を確実に捉えたという点が大きかったと思われます。

そのおかげで、イトーヨーカドーは他店舗との差別化がはかれ、売上を伸ばし、コロコロと連動したイベントで集客ができるといった相乗効果を発揮することができました。

当時のおもちゃ業界におけるイトーヨーカドーの市場シェアは5%程度だったと記憶していますが、私が担当していた商品ラインは売上の10%をイトーヨーカドーが占めていました。

余談ですが、イトーヨーカドーのシェアが10%だったので、販売計画・生産計画を立てやすかったことを覚えています。

中年K
中年K

ユーザーを知ることが大切です。

4.イトーヨーカドーの衰退

2000年以降は私が業界を離れたこともあり、内情は知る由もありませんが、近年のイトーヨーカドー関連の報道を見ると時代の移り変わりを感じます。

イトーヨーカドーからセブン&アイHDになり、セブンイレブンとの力関係の変化やPB製品を重視したMD展開などHD内のGMSとしてのイトーヨーカドーのポジショニングにも変化がありました。

もちろん、大型ショッピングセンター「イオンモール」の展開を強化したイオンの台頭など外的要因も大きく変化しています。

2000年代以降といえば、アマゾンをはじめとしたECの急激な普及も見逃せない事実です。

それに伴う消費行動の多様化により、実店舗での購入という機会が減っているため、GMSという業態自体の維持が厳しくなっていると推測されます。

ECと実店舗の関係という視点で見るとGMSよりも家電量販店の方がより厳しい環境に置かれているといえます。

このように、業態・業界に限らず時代の流れと消費行動の変化にうまく対応できるかどうかが企業存続のカギなんだなぁ〜と改めて思い知らされました。

忠犬P
忠犬P

時代の移り変わりは激しいのだ。

中年K
中年K

マーケットを読むのは難しいです・・・。

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